「相手と意見が合わない時は、殴っていい」
どの親がこんなこと教育するだろうか。
今、紀元前の「人間」がどのような世界を築いていたのか気になっている。
今のように、人と人とが、争い続けていたのか。
地球を傷つけ続けていたのか。
学校で教えてくれる歴史を遡る限り、人間は争いばかりである。
72年前に日本では戦争が終わったけれど、
私はたまたまその72年の間に生まれて、まだ戦争が起きていないから
リアリティがないだけで、今も起きているし、これからも起きそう。
最近わかったことがあって、それは
嬉しいとか気持ち良いとか幸せとか、そういう気持ちが溢れる時、
すべて、そこに「調和」があるということ。
調和するって、すごく嬉しいことだな、と思って
自分の思う嬉しいことをあげていったら、そこにはすべて調和があった。
誰もが知っている 、調和から生まれる「嬉しい」という感情。
「対話でなく圧力」
という国に、また日本がなるなら
なんと愚かなことであろうか。
今年のはじめに、母の故郷である長崎をひとりで訪れた。
原爆資料館から、平和公園へ向かう途中、
原子爆弾落下中心地碑があった。
とても静かな場所だったのだが、
収束感というか、人の念が、ものすごい数で集まっていて
誰の涙なのかわからないが、耐えきれず、涙が出てきた。
破壊ではなく、調和に頭を使って欲しい。
人ひとりが生きている時間にできることは限られているけれど、
不調和な「戦争」というものを、同じ「人間」が起こすのであれば、
そうならないよう、行動し続けるしかない。
自分が死ぬまでにはそうならなかったとしても、
いつか争いの無い調和のある世界が訪れるよう、
行動するしか無い。
やれることは人それぞれ違う。
でも誰もが「調和」のために行動できると思う。
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