午前中買い物がてら軽く散歩して帰ってきて入れたコーヒー。
食事もおやつもとらずに飲んでいるコーヒーの水面が綺麗で、
艶っつやしていた。
埃一つ浮いてなく、油とかも浮いてなく、
「見てこれ、綺麗、埃一つないし、すごくツヤツヤしてる。綺麗じゃない?」
と夫に見せると
「埃あるけど」
と言われもう一度見直すと埃が浮いていて、
「あ〜さっきは浮いてなかったのに。。💢(君が覗いたから埃が入った)」
と言った時、
一体、ひとりで何の大会を開催してるんだろう。
と思った。
こういうのよく、夫とは「世界観」と呼んでいるのだが、
我々夫婦は、こういう勝手な大会(ルールや制限をもうけて何かする)を
勝手にひとりで開催し、相手を巻き込むことが度々ある。
なれ親しんでくると、友達の前でもその「世界観」が出てしまったりするのだが、
時に全く”謎”な顔をされたり、ちょっと引いているように見えたり、全く無視されたりと色々である。
その「世界観」は基本的には外に出ないようにしているので、
多くの人は公の場での私を変な人だとは思っていないと思うが、
しかし、この謎の「世界観」は子供の頃から消えることはない。
小さな頃「おままごと」を皆がやった経験があると思うが、
この「世界観」はこのおままごとの延長線上にあるような気もする。
特に私は、家や家の庭という広いロケーションを悠々と使って、
一人芝居をよくやっていたのだが、
さすがにそれをやることは無くなったものの、
その「世界観」は今も時たま現れる。
家族だから共有できるものでもなく、
むしろ私の親姉妹はそんな私を見て
「変な子」だと思っていたと思う。
友達が全員その「世界観」を理解できる人かというと、やはりそうでもなく、
共感できない友達よりも共感できる友達の方が親友、というわけでもないのだが、
その「世界観」を持っている人は、私の周りにも稀にいる。
それを公には客観視していることもあるが、そういう人を見るとなんだか嬉しくなる。
その「世界観」が好きなのだと思う。
おそらく子供の頃は誰しも持っていた「世界観」なのではないかと思うのだが、
大人になってもその「世界観」を垣間見せる人は少ないのかもしれない。
私にとって、その世界は一時的な幼児返りであり、癒しの場なのかもしれない。
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